Omixの日記

自分(24歳/男)の周りの色んなこと、について考えるときに思うことを、真面目に書いたり、ふざけて書いたりしています。コメント、質問等お気軽に下さい。よろしくお願い致します。

【報告】フジロックとは一体何だったのだろうか

 

フジロックとは一体なんだったのだろうか?

 

フジロックとは開催地がある湯沢町の方と一緒に作り上げられたフェスです.しかしながら新型コロナウイルスの影響で観光客は激減し,少しでも湯沢町を救うために,なんてことは多分ググってくれればすぐにそういう記事がでてくると思います.その他,フジロックに対して経済産業省9千万円の支援金がされていることがわかりざわついていたり,コロナ禍でフジロックが行われることによっての社会的な被害や利益について等,そのようなことを述べているコラムなどを読みたい場合にはほかの方の記事をご覧ください.(ごめんなさい)

 

そのようなことは一切抜きにして(あまり難しいことが言えないので抜きにしているのですが)自身がフジロックに行ってアーティストから感じたものを書けたらなと思います.あくまでフジロックを肯定したり否定したりしている訳ではありません.一個人の感想としてお聞きください.脳死で言ってしまえば,すげえ楽しかったなあ,というのが感想です.でもそういう訳にもいかず(これではアーティスト側にも顔向けできませんので)ちょっとブログを書いています.

 

僕はフジロック(「FUJI ROCK FESTIVAL’21」)の1日目に行ってきました.お目当てはYogeeNewWaves,TENDOUJI,DYGLなんかです.趣味合う人いましたら是非コメントをください.とてもテンションが上がります.ちなみにフジロックは1997年から始まったらしいです.僕も1997年生まれなのでなんだかすごく嬉しい気持ちになりました.(すごくどうでもいい)

結果としてフジロックの入場者数は3万5449人でした.(20日=1万2636人,21日=1万3513人,22日=9330人)だいたい,ディズニーの来場者数(5000人の時もあるらしいです)が1万人らしいので同じくらいですね.(すいません,僕はディズニーから車で1時間かからない所に住んでいるのでこういう時だいたいディズニー換算になります)苗場の会場はディズニーの面積に比べると広いと思います.ごめんなさい,ググってないのでこれは感覚値です.つまりフジロックは1.2D(ディズニー)らしいということです.

 

僕だってもうちょっと(というかかなり)ふざけた感想を書きたいのですが,コロナ関係についてはそういう訳にもいかず,ちゃんと真剣に書きます.

 

コロナの問題は非常に複雑だと思っています.(今更僕がこんなことを言う必要もないと思いますが)人にとっての正義が全く違うからです.ある人にとって正しいものであったとしても誰かから見たらそれは間違いであって,でもそういったことって今までにもあったんじゃないかと思います.(野党と与党が毎日喧嘩しているように)しかしながらこのコロナ禍ではその影響が生活レベルまで大きくなってしまっているので,こうなんというかピリピリした世界になってしまっているのだと思います.当たり前ですが,人はそれぞれに守られるべき生活と命があると思います.

 

しかしながら職業によって,例えばウエディング関係で働いている人,飲食業界,旅行業界で働いている人,みんながコロナで非常に大きなダメージを受けています.中には2週間後仕事があるかどうか分からない人もいます.そしてそれは音楽業界も同じだと思います.(本当にみなさんお疲れ様です,いつかこの日常が終わったら外でおいしいビールを飲んでください)みんなが辛い悲しい気持ちでいっぱいになっています.どこかでこの行き場のない気持ちを発散したがっています.しかしながらそうではない人たちもいます.(その人たちが悪いというわけではないですが)その人たちがコロナの流行を助長させるような行動を起こしてしまうと,やっぱり非常に叩かれてしまうわけです.

 

そのような対比がこのフジロックでも同じように起こっているように僕には思います.音楽を楽しんでいるアーティスト,盛り上がる観客,と非常に苦しい思いをしている人たち,自粛を一生懸命している人たちとです.もちろんこの構図は間違っていないと思います.それをアーティスト側はもちろん知っています.そう感じています.では何故,そこまでして(一部の人からは必ず叩かれるという事を分かっているというのに)彼らはフジロックに出たのでしょうか?(もしくは出ざるを得なかったのか)

 

僕がフジロックを見て非常に感じたのは彼らの中には人生をかけて音楽をやっていて,フジロックが夢と語っているアーティストがいるということです.

 

御幣を生むことを承知で言わせていただくとフジロックの中のアーティストの中にはわざわざフジロックに出演しなくてもすでに十分の人気,知名度,そして経済的余裕があるアーティストもいます.(RADWINPS,King Gnuなど)しかしながらそれとは別にフジロックをこれからの活動の起爆剤にしようとしているアーティスト,フジロックに人生をかけていた,フジロックに出ることが人生の夢だったアーティストもいるということです.(僕は彼ら目当てにフジロックに行きました.すごく楽しかった,ありがとう)

 

彼らはわかっています.命が一番大切だということはもちろん分かっていると思います.だから悩んで苦しんでいるんです.全く売れなかった時代,きつかった時代を経験したアーティストが中にはいるかもしれません.きっといると思います.そんな彼らが人生の目標を,夢を獲得できるチャンスが目の前に転がっているのにそれを,全く知らない人のために諦めろ,知らない誰かを助けるために諦めろ,ということを僕は簡単には口にはできません.(これは音楽業界に限らずです)もちろんそれが今の社会の流れに逆らっていること,褒められるような行動ではないことは分かっています.だけれどライブに行ったことある人なら分かるんじゃないでしょうか?ライブってライブじゃないといけないんです.

 

確かに町の飲食店はつらい状況に追い込まれています.中には店を畳まざる負えない状況に追い込まれている方,日雇いをして何とかやりくりしている方,そんな方がいるのに何故フジロックはオーケーなんだ?なんで,音楽ばかりにフォーカスされるんだ,となるでしょう.きっと僕も飲食店を経営されている立場ならそう感じると思います.そんなことを分かっているからこそ,彼らはつらい思いをしながらそれを隠そうとしながら,演奏をしていました.そういう姿があったからこそ僕たち観客も,できるだけこのフジロックという(おそらく圧倒的に反対が多い中開催された)イベントを成功させたいと強く感じたのだと思います.(少なくとも僕はそう思いました)

 

もし仮にフジロックが成功したとしても(失敗してしまった場合はもちろんですが)この後にフジロックとは何だったのか,何のために開催されたのか,ということを話し合う必要があると思います.それを話し合うことがフジロックが開催された意義の一つだと思います.

 

「こんな日本中が大変な時期に音楽イベントをやっている場合ではない」「音楽業界の衰退を防ぐためなら配信形態でも問題ないだろう」

 

そういう言葉に対してきちんと向き合い,話し合っていく必要がある,意見を交換できるような雰囲気を作っていくことが大切だと思います.そういうことを多くのアーティストが口に出していました.

 

King Gnuの井口さんも「出演を辞退したアーティストもいる.どう医療関係者に顔向けしたらいいか分からない,わからないまま,このステージに立ってしまっている」と言っていました.きっとそういうアーティストの方,非常に多かったんじゃないかと思います.

 

僕もこの文を書いていて結局何を書きたいのか,フジロックが何だったのか分からないまま,ここまでカタカタとキーボードをたたいている訳です.でもやっぱりちゃんとした結論が出なくても,何か自分なりに考えてみること,が大切だと僕は思っています.一人ひとりがそうすることで(進んだり戻ったりはあるかもしれませんが)少しずつ世界が前に進める,元通りになるような気がしています.

 

さらにそういう問題について考えるきっかけをフジロックは僕に与えてくれました.

もちろん,いろんな声ありますが,勇気を持ってくれて,開催してくれてありがとう,フジロック

【報告】夢について考える時に僕の思うこと

以前これは2年前ほどにnoteに書いた文章なんですが今風にアップデートしてもう一度書いてみました.(中には)もしかしたらなんとなく読んだことがある人がいるかもしれません.ごめんなさい.

 

僕は最近「夢」とか「将来」ついて少し考えることが多くなりました.それは僕自身この前まで就職活動を行っていたからだと思います.就職活動についても後々文章をかけたらなあ,と思っております.(就職活動を終えた皆様,ご苦労様でした.まだの皆様,つらいかもしれません.お気持ちはすごく分かります.あまりネガティブにならずに頑張ってください)

 

おそらく,僕以外にもこれから受験を控えている方や就職活動を始められる方,人生の方向性をある程度(程度の大きさは人によりますが)決めなければいけないポイントに立たされている方もいると思います.こういう場面に立たされた時,多くの人は緊張し,頭が痛くなるほど悩むかもしれません.僕も同じです.それは(上にも書きましたが)ある程度自分の人生を決める選択だからだと思います.残念ながら(?)なのかは分かりませんがコンビニでどのおにぎりを買う選択とは少し違うような気がします.


おにぎりと同様,選択には正解不正解とは言いませんが,わずかな(あくまで主観的な意味での)優劣が存在するのは事実だと思います.受験など結果が共わなくてもそこに至るまでの過程,努力は財産になると言います.しかしながらそう言ってくれた方はあなたの代わりに第2志望の学校には通ってくれません.辛いですが選択の結果を背負うのは(基本的に)自分自身です.そう考えると,どうせなら自分にとってプラスになる選択をしたいです.そこがこれから先,年単位の期間に影響を与える選択ならば尚更だと思います.

 

じゃあどうやって決めたらいいんだろう,と思ってしまいます.僕もそう思います.

例えば、林修先生や前澤社長なんかがひょこっと現れて,こっちの進路の方がいいと思うよ,なんて言ってくれれば少しは楽観的に選択することができるかもしれませんが,しかしながらそんなことは中々起きてはくれないものです.基本的には自分で,決めなければなりません.ポジティブに言えば自分で(ある程度は)自由な選択ができます.

 

では何が自分にとって良い,選択なのでしょうか?目を閉じて少し考えてみましょう.自分の心に耳を傾けましょう.本当に,自分がしたいことは何なのか,子供のころは何を夢見ていたのか,何を人生で成し遂げたいのか,考えてみましょう.

 

そこでポンと浮かび上がったことをあなたは命をかけてやればいいのです.と,よく言われます.(僕の周りだけの話かもしれませんが)

 

しかし,何もそう簡単にいくでしょうか?僕も心の隅の方から「それってほんとうにやりたいの?」「人生賭けれる?」ってヒソヒソ声が聞こえます.

自信満々に僕は,私はなりふり構わずできる,これを成し遂げる,と思える方でしたら,どうぞ,それに向けて一生懸命やってください,(岡本太郎的に言うならば)夢に向けて命を魂を燃やすんだ!となります.でもそう考えられる人ってすごく少数派な気がしませんか.

 

人は,みんな本当は怯えています.安全な道を辿りたいと思っています.それは心の奥の方で自分は本当の意味では独りだということをわかっているからだと,僕は思います.失敗したら大きなものを失う,誰も助けてはくれないと考えてしまうのだと思います.真っ暗な所ではどんなものでも怖く感じてしまうものです.

 

ですからみなさん「人生を賭ける」となるとドキドキ怯えてしまいます.じゃあ自分にとっての良い選択とは何でしょうか?

 

これは,あくまで僕の考え方ですが,夢ではなく目標を持てば良いと思います.それも大きな目標でなくて大丈夫です.小さな身近な目標です.そしてその目標に自分なりに努力すれば良いと思います.

 

なんだか拍子抜けするような考え方かもしれませんが、逆に言えば、大きな夢を持つことがそんなに大切なことなんでしょうか?別に大きな夢を持つことが悪いというわけではありません.(現に僕にも大きな夢は1つ2つあります)

 

しかしながら大きな夢はなんだか遠い話のように僕には思えてしまいます.夢の中の違う自分が(もしくは大きくなった自分が)せっせと汗をかいて叶えてくれるような,そんな感覚です.

 

僕はこれまで身近な目標を立て,それに向かって努力してきました.それは例えば(興味はないかもしれませんが)成績においてクラスで1番になることや,好きな女の子に振り向いてもらうこと,楽器を上手に弾けるようになること,なんかです.そして振り返ってみればそれは僕にとってその日々を充実させてくれる,ありがたい,大きな原動力でした.

 

少し回りくどい言い方をしましたが,僕が,要するに言いたいことは大きな夢をみて,居酒屋で友達と語り,気持ちよくなるよりは,小さな目標に向かって努力したほうが良いのではないかということです.残念ですが夢は語っている時が1番楽しいものです.そして僕は,キラキラするような夢がないことに対して悲観的になってほしくないのです.これが正しいのかは知りませんが,僕はそういう考え方を今までも,これからもしていこうと思っています.あくまで僕の考え方の一つですが夢と現実に対して適切な距離感で付き合っていくことは,自分にピッタリのソファを見つけることと,同じくらいに人生にとって重要なことだと思います.

 

ただ(最後の最後になってこんなことを言い始めたら話が行ったり来たりしてしまうかもしれませんが)夢も小さな目標も何もないよ,という人もいるかもしれません僕はむしろ人生とは本来そういうものだと思います.人生に意義や意味はないと思っています.(人に迷惑をかけなければ)基本的に生き方は自由です.そして人の人生に優劣はないと思っています.2度寝3度寝ばかりの人生,パートで毎日食いつないできた人生.そのような人生が(例えばオリンピックで金メダルをとったアスリートに比べて)偉くないということは,ましてや劣っているということは決してないと考えています.ごめんなさい,これはあくまで僕の意見なので大衆に押し付けるというわけではないですが,もっとはっきり言ってしまえば「人生,勝ち組負け組」という言葉が,僕は嫌いなんです.そう言っている人を見ると(「俺の人生負け組だからな等」)「お願いだから,そんなこと言わないでほしい」と思ってしまいます.

むしろ「最近みんな頑張りすぎなんだよな」と言いながら(ぽよぽよなお腹で)縁側でスーパーカップを食べる人生,非常にウェルカムだと僕は思います.大切なのは(文字に起こすとなんだか悲しいですけれど)期待通りにいかなくたって自分の人生をきちんと愛してあげることだと思います.思い通りにいかないこと,こんなはずじゃなかった,と感じること,あるかもしれません.でもそこからが人生,だと思います.きちんと自分の人生を許容してあげること,そして自分の人生を愛してあげることが,(もし強いて言うならば)人生の目的だと僕は思っています.

こんなご時世ですから,つらいこと思うようにいかないこと,あるかもしれません.ですけれど,俺はあいつより恵まれてる,俺の人生何だったんだ,なんて思わずに,みんなで横並びで手をつないで歩けるような人生がおくれたら,もしそう思っている人が身近にいたら手をつないであげることが出来るような人生を生きられたらすごく幸せなんじゃないかな,と僕は思っています.

 

なんだか夢の話をしていたのに気が付いたら全然違うところに出てきてしまいました.すいません.今回はこれで以上になります.また,よろしくお願いします.

 

Omix

 

【報告】ブログまた書きます

昔からつながっている人は知っているかもしれないけれど,またブログを少し書いてみようと思っています.

理由はとても簡単で,文字を書いていると(実際にはパソコンでカタカタとキーボードをたたいているわけですが)なんだかとても気分がよくなります.(かっこつけて言わせていただくと)音楽をしているような気分になります.自分の好きな曲を弾いている気分です.多分もっと近いところで言うと絵を描いているような(僕は絵をかきませんが)または,料理をしているような(料理はそれなりにします,炒飯とペペロンチーノは結構上手に作れます)気分になります.目の前のことに集中できて少しだけ社会から離れるとような気分になるわけです.そして文字を書くことが好きということに大学入学初期くらいに気が付くことができました.それから大学3年生くらいまでひっそりブログや小説なんかを書いていました.そこから研究室や就活なんかでちょっぴり忙しくなって,(この間は文字を書くというよりは文字を読むことが多かった気がします)そして、また最近になって文字を書こうと思い始めました.

 

文字を書いていて思うのは気持ちがとても落ち着くということですなんだか自分がとても良い行いをしているように思います.そう思ってしまうのことが良いか悪いかはわかりませんが,ひとまず文章を書いているととても気分が落ち着くわけです.これは要は日記と同じで,気持ち,という実体のないフワフワしているものを文字,という目に見えるもの,に変えてあげることで,いま自分がどんなことを考えているのか,どんな方向に体が向いているのかしっかりと把握できるからだと思います.あれ?自分って思ってたより疲れてたんだなとか,怒ってたんだなとかそういうことです.

 

また,気持ちや態度というものはとても難しいもので,自分がこう考えているんだ,ということは外に信号としてアピールしない限りは,ほとんど相手に伝わりません.さらには伝わったとしてもとてもひん曲がった形で相手が受け取ってしまうこともあるわけです.


とくに日本の男の人は自分の気持ちを外に出すことが苦手な人が多いと思います.遊園地なんかで本人はすごく楽しいつもりなのに,周りから見たらあまり楽しそうに見えなかったり,プレゼントをもらった時,とても嬉しいのに素直にうれしい,と言えなかったりなんかです.それで周りの人を困惑させてしまうわけです.女の方いつもごめんなさい.男ってそういうもんなんです.

恋愛なんかでも,自分はとても好きなのに(そうアピールしているつもりでも)相手からしてみれば,え?それ本気で言ってる?全然わからなかった,みたいなこと.嫌われてると思ってた人からデートに誘われて,みたいなことは周りの仲間の中でもよくあることだと思います.僕にも(ほとんど前者の方ですが)そんな経験が非常に多くあります.誰か助けてください.

 

一人で生きていれば自分の気持ちなんて誰にも伝わらなくてもいいかもしれません.(それはそれでさみしい気持ちもするけれど)でも,僕たちはとても多くの人が住んでいる世界にいます.毎日誰かと話して意見交換をしなくてはなりません.


だから苦手な人は苦手なりに自分の気持ちをうまく相手に伝えるテクニックを少しずつ学んでいかなければならないと思います.それは自分が幸せに生きるためでも,周りの人と幸せに生きるためでもある,と思います.まれに自分の気持ち全部口から出ちゃうマンがいますけれども,その方はそっとしておきましょう.


また,自分の気持ちを相手に伝える,と意外と自分の気持ちが軽くなったりしません?軽くなるんですよ.(それがTwitterが長々と続いている理由でもあるかもしれないけれど)だからもし,自分の話や、気持ちを聞いてくれるような友達が近くにいるのであればその方は大切にした方がいいと思います.また,その人の話も聞いてあげましょう.
(ありがたいことに)僕にもそんな友達が何人かいます.けれども自分の考えや思ったことなんかをここにのんびり書けたらなと思っております.贅沢な使い方かもしれませんが.どうかよろしくお願いします.

 

Omix